アメリカ物理学会 流体力学部門 年会について

1.アメリカ物理学会と流体力学部門

 アメリカ物理学会(APS)は、会員数が約4万6千人という大きな学会であるが、
その中には研究分野ごとにdivision(以下では部門と書くことにする)という組織があり、
流体力学についてもdivision of fluid dynamics(流体力学部門。通称DFD)がある。
APSの各会員は、毎年会費を払う際に、希望する部門への登録も同時に行うことができ、この登録にともなって7ドル支払う必要がある。
2007年におけるDFDへの登録メンバー数は2709名である。
流体力学部門の組織はかなりしっかりしているようで、division chair の下にいくつかの役職があり、これらの人が部門の運営にあたっている。
division chair を含む重要な役職は、選考委員会の決めた定員の2倍の候補者の中から、web上での部門のメンバーの直接投票によって決められる。

2.流体力学部門年会(DFD annual meeting)の概要

 APSでは全体の年会を毎年春に行っているが、それ以外に各部門ごとの年会が毎年行われている。
流体力学部門の年会は、毎年11月下旬に行われ、DFD annual meeting と呼ばれている。
この年会の日程は通常3日間であり、3日目は午後早くに終わるので、実質2日半の年会である。
開催場所は全米各地の都市が選ばれるが、大学の講義室などを会場に使うことは想定されていないようで、いつも convention center で行われている。
今年の第61回年会はテキサス州サンアントニオで11月23日から25日まで開催された。
この年会は一応APSの国内学会ではあるが、アメリカ以外からの参加者も結構多く、日本からも毎年10名以上参加している。
今回は計18ヶ国からの参加があったと聞いた。参加登録費は、日本の国内学会の年会参加登録費に比べるとかなり高い気がする
(今年は一般会員で330ドルであった)が、発表用機器費用を含む会場費がかなり高そうなので、しかたがないのであろう。
 発表の研究分野は、日本の物理学会年会の流体物理関係セッションに比べるとかなり範囲が広く、工学的な観点からの研究もかなり多い。
また、地球流体分野の発表もそこそこあり、全体として日本流体力学会の年会に似ている感じがする。

3.年会のようす

3.1. 講演スケジュールと発表会場

 今年の年会での配布資料によると、今回の講演数は約1550である。年会では、朝は8時頃から発表が始まり、夕方は午後6時半頃まで発表がある。
多くの参加者は会場近く(あるいは会場と同じ建物)のホテルに宿泊するので、朝早くから発表があっても、とくに苦にはならない。
コーヒーブレークは、午前と午後に1回ずつあるのが普通である。
また昼食時間は日本の感覚からするとやや遅いので、午前のセッションは朝早くから始まることもあってかなり長く感じられる。
発表は毎年多くのセッションに分かれてパラレルに行われ、今年はmini symposium も含めて21セッションであった。
一般講演は講演時間が10分、質問2分であって発表時間は短いが、大部分の講演はきっちり時間を守って行われる。
 発表の行われる各部屋には椅子が結構たくさん置かれているが、机は講演者のところにしか置かれていない。
聴衆がメモを取りにくいのがやや難点であるが、机を置くとより大きい部屋を借りる必要があるので、財政的に難しいのであろう。
また、各部屋には発表スケジュールを厳密に管理するための時間表示モニターが置いてあり、それに基づく進行を、発表者や座長はきっちりと守っている。
直前の発表が早く終わっても、次の発表を早く始めることは行われない。
たまに、あせって早く始めようとする発表者がいるが、座長はそれを制止し予定時間まで開始を待たせる。
このような厳密な時間管理を行うのは、上記のような多数のパラレルセッションが開催されている中で、各参加者が聞きたい講演を聞けることを保証するためである。
すなわち、各参加者は頻繁に部屋を移動して講演を聞くのが当たり前であり、その際にあるセッションの進行が遅れていたり、
発表が予定よりも早く行われていたりすると、予定していた講演が聞けないので、そういうことは許されない。
また、比較的近い分野の発表は近くの部屋で行うように例年配慮されているが、
今年は、一部の部屋がかなり離れており、必ずしもスムースに移動できなかった。
なお、液晶プロジェクターやスケジュール管理用モニターなどのAV機器は、コード類も含めたすべての準備と管理をPSAVという会社に委託していると聞いた。

3.2. 講演方法

 発表は、講演者持参のノートパソコンを備え付けの液晶プロジェクターに接続して行うことになっており、OHPなどの使用はデフォルトではない。
最近では、私はOHPを使った発表を見たことはない。
各講演の間には1分間時間がとられているので、その間に、次の講演者は自分のパソコンを液晶プロジェクターにつなぐ。
ただし、うまくプロジェクターに表示されないことがしばしばあり、
講演者のほかに座長や発表者の同僚たちがいろいろと接続やパソコンの設定をさわって、何とか表示できるようにしている。
発表者は、あらかじめ Speaker Ready Room と呼ばれている部屋で接続テストをすることが求められているが、
どうもそれをしていない発表者が少なくないようである。
多分、最近は昔ほど接続のトラブルが起きないので、発表者もあまり心配していないのであろう。
ただし、前述のようにすぐにはつながらないことはときどき起こり、発表開始が数秒遅れる程度のことまで含めると、10人に1人くらいはスムースに表示されない。
今年私が参加したセッションにおいて一番時間がかかった場合は、4分くらいの遅れで開始した。
ただし、この遅れはあくまで発表者の責任であり、開始がいくら遅れても終了時刻は決まっているので、発表者は残された短い時間で話す必要がある。

3.3. 参加者のようす

 多くの参加者は自分の聞きたい発表を聞くために忙しく講演の部屋を移動し、離れた部屋に移動する場合は結構大変である。
したがって、10分間の発表が終わると質疑応答を待たずに部屋を出て行く人も結構いる。
また、移動の途中で知り合いに会っても、挨拶もそこそこに次の会場へ向かうことになる。
また一般講演においては、1講演ごとに人の出入りが激しいので、自分の講演の順番になったとたんに聴衆が大きく増えたり減ったりすることもあり、各講演に対する参加者の対応はドライである。
一方、日本の物理学会や流体力学会の年会では、通常は一般講演後の拍手は行われないが、DFDの年会では各講演が終わると直後に必ず拍手があり、
質問時間が終わるときにも通常もう一度拍手がある(ただし、2度目の拍手は、座長によっては行われないこともある)。
 この年会には外国からの参加者も結構いるが、年会の運営において、とくに外国からの参加者に配慮していることはないし、
国際研究集会では通常行われるバンケットも行われない(レセプションはある)。
アメリカからの参加者は、やはり国内集会という意識が強いようで、
国際研究集会のような、いろいろな国の人と話をしてみようという気持ちはあまり感じられない。
従って、アメリカ人に知り合いのいない人が参加すると、疎外感を感じる場合があるかもしれない。
また、アメリカ人の参加者の中には、多忙のためか自分の講演や自分の関係するセッションが終わるとすぐに帰る人も結構あり、会期中ずっと参加する人は案外少ないのかもしれない。

3.4. セレモニーや付加的行事など

 今回は、1日目の午後に流体力学部門のセレモニーが行われ、その直後に今年のFluid Dynamics Prize 受賞者である J.M.Ottino の記念講演が45分程度あった。
このセレモニーでは、division chair (Phillip Marcus) が、次年のDFDの役員を紹介したあと、流体力学部門の各種の賞の受賞者を発表して表彰を行った。
また、今年APS のフェローに選ばれたDFD所属の人たち15名も、一人ずつ所属と選考理由が述べられ、壇上に呼ばれて紹介された。
招待講演は、前述のFluid Dynamics Prize 受賞記念講演の他に、
Francois Frenkiel Award, Andreas Acrivos Dissertation Award の受賞者による講演と一般の招待講演8件があり、それらは2講演ずつパラレルに行われた。
招待講演も大部分が講演時間をきっちり守って行われていたが、招待講演の中の1件は大幅に講演時間を超過した。
超過したのは15分くらいであり、この講演の後は20分ほど休憩時間であったが、
聴衆のかなりの部分が休憩時間に入ると講演中でも部屋からさっさと出て行ってしまい、このあたりの対応は日本とはかなり違うと感じた。
 また、Gallery of Fluid Motion という、流体力学に関する実験や数値シミュレーションの結果の図やビデオを発表・展示するコーナーが設けられており、
なかなか興味深いものが多いので、たくさんの参加者が見ていた。
そのほか、日本の学会の年会ではない行事として、年会参加者がAPS発行の学術雑誌のeditorsに会って、いろいろと意見を言ったりすることのできる会議や、
アメリカ国立科学財団(National Science Foundation)が若手の研究者の意見や希望を聞くという趣旨であると思われる会議もあった。
また、流体力学部門では部門名などを書いたTシャツが作られており、それを会場で販売していた。